Sponge Mind

日常と非日常の触発ブログ

''The Shawshank Redemption'' 『ショーシャンクの空に』についての感想

''The Shawshank Redemption'' 『ショーシャンクの空に

著: Stephen Edwin King

(Netflixにて視聴)

 

 これほどの良作が世の中に存在していたのかと思うと、これから映画を見るのが楽しみで仕方ない。一方で、「映画は時間が搾取されるようで苦手だ」と、今までことごとく嫌煙してきた自分を恨む。

 

 視聴後、あの熱い想いが冷める前に無我夢中で書き起こした7月27日土曜日の朝10時。感想全文を作品のタイトル画像とともにインスタグラムへ投稿したところ、いいね!の数は1件。見たことのない数値。二度とインスタグラムで真面目に語るまいと誓った。“When in Rome, do as the Romans do.” ただの恥さらしでしかない。

 

 それはともかく、『ショーシャンクの空に』について以下の観点から感想を述べる。

  • 教養から見る人種差別
  • 芸術
  • 別世界
  • 依存性の脅威
  • その他

 

(  インスタグラムに寄稿済みの内容を再検討し、疑問点をほんの少しだけ解消したものを掲載する。薄い内容であることは覚悟の上で読み進めていただきたい。また、もし『ショーシャンクの空に』の内容を思い出したい方がいらっしゃれば、概要を掲載しているHPを下記の通り張り付けておりますので、ぜひご一読を。

https://eiga-watch.com/the-shawshank-redemption/  )

 

 

  • 教養と教養から見る人種差別

 教養が、その人自身の人格や周囲の環境をも変える。本作を通して、教養が良くも悪くも影響を与えるインフルエンサーを生み出すことを改めて認識した。教養を身に着けることが、知識と興味という手段の幅を広げるのに最も手っ取り早い方法かもしれない。全体的に教養がちりばめられているプロットだったので、限定して描写することは難しい。少し話のベクトルは異なるが、強いて言えば、Tommyという青年が修身し、教養を身に着けようと努めていた場面がそれに値する。ただし、その結果、無残な結果に終わってしまったことは言葉に表せないほど痛ましかった。素直さと教養を纏っていたとしても、救われないこともある。この場合かなり理不尽な例ではあるが、常に報われるとは限らないことを表すメタファーとしては心に残る。個人的な話にはなるが、昔から母には「勉強しなさい」と口酸っぱく言われてきた。今の私が当時の彼女の言葉をかみ砕くなら次のように言い換えたい。勉強による教養とは、保身のためであり、自分を愛することでもある。

 本作品は、Andyが入所する1947年辺りからが舞台なので、黒人であるRedが入所した約20年前は1927年頃。当時、One-Drop Rule (一滴でも黒人の血が流れていれば黒人とみなされる法的原則)のような馬鹿げた表現や白人至上主義団体が実在していたように、黒人に対する人種差別は酷いものであっただろう。かつて、とある医師は、“Blood is Blood.”と嘆いたそう。Redについて描写すると、読み書きの理解が深く、立ち振る舞いは堂々としており、肌の色を問わず周囲の囚人からの信頼が厚く、映画という配慮からかもしれないがほとんど訛りはなく、白人と対等に英語を話していたことに違和感を覚えた。ストーリー上ではAndyに強くスポットライトを当てており博識な人物として描かれている一方で、実はRedにも教養があったことを暗に示していたのかもしれない。ただし、上映が始まったのは1994年。1950年代から1960年代にかけて行われたAfrican-American Civil Rights Movement (アフリカ系アメリカ人公民運動)や、1955年にRosa Parksが発端となったMontgomery Bus Boycott (モンゴメリー・バス・ボイコット事件)のことを考えると、黒人差別を放映したくないという意思の表れなのかもしれない。わざわざ黒人を採用した目的は一体何だろう。黒人差別はもう時代遅れですよと映画を通じて視聴者(当時のアメリカ人)に伝えたかったのか。

 作品内でも時は移り変わり、Andyが仮出所する暁にはすでに入所から40年もの月日が流れていた。すなわち、仮出所時の年代は1987年だ。Redが40年ぶりに外の世界へ戻った時、一般客に紛れてバスの座席に座り、落ち着かない様子が映し出されていた。私にとってはその光景が微笑ましく、自分の顔が綻んでしまうのを感じた。黒人も一人間であると認められる世界に様変わりして心から良かったと思う。余談ではあるが、未だKKKのような組織は実在しているそう。いかなる活動にせよ、今後、国全体で一部の人種を粗末にすることが二度とないように願うばかりだ。In Honor of Barack Obama.

 

  • 芸術

 この分野に関しては、とりわけ参考文献や専門職とする大学教授の意見を仰ぐ必要があると感じられるが、ここでは独自の見解を述べるに留まるとする。芸術といってまず思い浮かべるのは何だろうか。書籍、音楽、絵画…。芸術における大まかなジャンルのほとんどが登場し、細かい描写や人称名詞が散りばめられていた。本当にぬかりのない作品だなと何度思ったことか。

 Andyが、悪事を裁くために水面下で行っていることをRedに伝えた際、Redは彼に脱帽。その時の発言が、“Did I say you were good? Shit, you’re a Rembrandt.” 「お前は秀才じゃなく天才だ。」字幕と、聞きなれない‛Rembrandt’という英単語に居心地の悪さを覚え、調べてみると、聖書物語の絵画を描くこともあった画家であった。本作のタイトルは、''The Shawshank Redemption''だ。どこか‛Redemption’ (<キリストによる>罪の贖い)とスペリングが似てはいないか。はたまた気のせいか。ちなみに、『教養と教養から見る人種差別』にて述べた、語り手でもあり終身刑のRedは、‛Redemption’からとったものなのだろう。一生罪からは逃れられないということかもしれない。もう少し画家について詳しく調べるとさらに面白く思えるだろう。

 何よりも印象的なシーンが、1時間と7分が過ぎた頃。スピーカーから流れてきた穏やかな音楽を聴いて、聞き惚れた囚人全員が空を見上げ、静止していたシーンである。その美しい光景に圧巻された。一方、刑務官だけが乱暴を働いていたのも見所。対照的な様子からアイロニーが効いていたので思わず笑ってしまった。「囚人は悪、刑務官は正義」の概念が瞬殺された。世間から見れば、囚人は人間の中でも劣等に値する(かもしれない)。が、本作では、刑務官が狂気じみており、囚人が相反してまともに見えてしまう。そのシーンには見るに堪かねる場面が含まれていたものの、非常に面白く何度も見返してしまった。また、囚人全員が空を見上げていたシチュエーションは、Andyが脱獄後に空を仰いでいた姿と重なる。自由を求めての行動か。「自由」に関しては、以後の『依存性の脅威』と絡めて述べたいと思う。

 実は、もう一つ印象に深く残ったシーンがある。この作品内で唯一涙を流してしまった。それは、音楽を流した罰として牢獄とは別の謹慎場所へかなり長い期間投じられたAndyが、元の刑務所へ戻ってきた時のことである。他の囚人が「あっちでは音楽なんて流れないだろ?」のような嫌らしい言い方に、''It was in here, and in here.''(音楽は流れていたさ。頭と、心で。)と、Andy。なぜ自分が泣いたのか、理由は説明し難い。音楽も人の話も、人間は耳でなく心で聞いている。口からでる声も言葉も、口でなく心で話している。心のあり様がその人を作り出す。

 

  • 別世界

 刑務所と外界の間の壁を隔てて、時の移ろう速さは異なる。まず、囚人側の時間はゆっくりと過ぎている。終身刑になれば、考える時間も、趣味に勤しむ時間も、読書から教訓を得る時間も、自分を愛する時間も、十二分に有り余るほどだ。一方で、たった1枚の塀で区切られた外の世界では、車が走り、新しい建物が建築され、次々と刷新されていくからか、時間の流れも人の動きも何もかも早いと感じた。その分、死へのスピードも早いもしくは早く感じてしまうのかもしれない。老人、Brooksが仮出所後まもなくして自殺に追いやられた。時間の過ぎ去り方と、刑務所内では教養ある男だったものの社会に出ればただの元囚人であり、孤独であること。この2点の現実から目を背けるために死を選んでしまったか。『依存性の脅威』で再度老人について語りたい。

 

  • 依存性の脅威

 ''The Great Gatsby''の視聴後に限らず、どこかアメリカ文学は依存の演出を感じる。孤独からくる依存。「人間みな孤独」なんていう言葉は、当時もはや一般論だったのかもしれない。ここでは、依存について3つの視点から感想を述べる。

 

― 老人による刑務所への依存

 仮出所を認められた老人Brooksは、刑務所では教養ある有名人であるが、外の世界ではただの元囚人としか見られない。仮出所前に狂気的な行動に出ていたのは、塀の外に待ち受けるのは孤独を知っていたからではないだろうか。彼の心の拠り所は刑務所にあったのだと思う。

 個人的には、その老人が選んだ死を間違っていると否定できないと感じてしまった。社会に適応できない囚人、ましてや30年も生きることは考えられないような老人。先のない死を選ぶか、自由に満ちた今を生きるか。目標のない人間の自由は、時にその人を苦しめる。

 安楽死はどうだろう。Brooksは刑務所で長年酷い扱いを受けていたから絞首くらい容易いものだっただろうが、もし刑期の短い若者が出所して自由に恐怖をいだいたら、おそらく自殺を選ばず衰弱して死んでいくか、その人の選択肢にあれば安楽死を選ぶか。そういえば、無敗の3冠馬と呼ばれていたディープインパクト安楽死により旅立ったらしい。話が大いに逸脱しそうなので、この辺で安楽死については切り上げる。

 余談ではあるが、BrooksはAndyが来るまで、刑務所でたった一人の本の虫だった。そしてカラスをヒナの頃から飼いならしていた。彼の名前は、‛book’ (本)と‛rook’ (ミヤマガラス)を掛け合わせて作られていたのかもしれない。Brooksが飼っていたカラスは、仮出所の直前にBrooksの手によって窓から放たれた。生まれ育った鳥籠から突然大空に放たれた鳥は、直ぐに死ぬと聞いたことがある。刑務所で飼われながら、自由を知らずに育ってしまったカラスは、おそらく数週間もたてばBrooksのように死んでしまうだろう。文学またはキリスト教におけるカラスの立ち位置から読み解きたかったが、あまりネット上には資料がなく、Wikipediaのみが解釈について掲載していた。あまり引用先として使いたくはないが仕方ない。

 神話や伝承において斥候や走駆や密偵や偵察の役目を持つ位置付けで描かれることが多い。

(  Wikipediaより  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9  )

 タイトルからわかるように、この映画はキリスト教が関与しているストーリーである。そのため、神話に基づいていると考えても良いと考えた。「斥候や走駆や密偵や偵察の役目」と定められている以上、カラスが先見の明をもってBrooksの将来と外界を先に見てくるよと旅立っていったようにも思える。どちみち、彼らの心の拠り所は刑務所であった。

 

― Redによる刑務所の依存

 30年服役している終身刑のRedも、心の拠り所は刑務所にあったように思える。「刑期が長引くほど根が生える」というRedの発言に反し、刑期の浅い者が「そんなことはない」と反抗していた。

 定期的に与えられる、仮出所できるかどうかの面談により、Redは毎回同じことを話し、そして締めくくりとして、刑務所で神聖に扱わなければならないGodを口にして仮出所を故意に免れていた。外の世界を恐れていたのではないか。彼は、承認される余地のあるほど、頭の回る人間であると推測する。実際、免罪のAndyの脱獄以降感じる虚無感から、面談の中で、承認されるよう話を進めていった。

 

― 刑務官によるAndyへの依存

 長官含む刑務官は、囚人であるAndyにいつしか依存し始めていた。刑務官が囚人を頼り、まさか仕事まで任せるという、想像もつかなかっただろう出来事が起こってからというもの、一部の囚人らは厚い信頼を獲得しているように思えた。

 馬鹿げた話、その出来事の前に行われた牢獄内の打ち抜き検査では、脱獄の恐れがあるはずなのでポスターの裏まで調べるべきであるところを、刑務所の長官は見過ごしていた。免罪のAndyを生涯牢獄に閉じ込めておきたいなら、ポスターの裏まで調べなければならなかったはず。長官が牢獄を立ち去る際に放った言葉、「誰にだって隠したいこともあるもんだ」が、後の長官による不正賄賂とAndyの脱獄(ポスターの裏)の伏線となっていると考えられる。長官の部屋に飾られていたフォトフレームの裏側には不正賄賂用の金庫がある。長官は、囚人が自分と同じ手段で「何か」を隠していると見抜けなかった。見くびり過ぎている。長官が先見の明を持っていない、と気付いていたAndyを讃えたい…

 

  • その他

― 見た目

 人の外見は、足元から見られているものである。金融機関が舞台となることがあった際、脱走した元銀行副頭取のAndyは足元から身なりを整え、加えて立ち振る舞いに余裕を感じた。経験と教養がモノを言う。短期間の接客だけであれば、見た目と態度で人柄を判断されるのだ。まるで“The Big Issue”の販売者の心得かのよう。

 

― 終身刑のあり方について

 死刑、終身刑といった制度の在り方に偏見を持っていた自分がいた。すべてがこんな人たちばかりとは限らないのを承知の上で、これらの制度に偏見がある方は、ぜひ一つの勉強として本作をご覧になってください。

 

― 執念がモノを言う

 何事にも泥臭く、最後まで全力で振り絞って取り組んでみることがいかに肝心か。これを機に、再度働き方やらを見直したい。

 

 

 

 長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。ぜひコメントをお待ちしております。