Sponge Mind

日常と非日常の触発ブログ

私の英雄は無生物

   私には、小さな英雄がいる。10年ほど前に初めて出会った時、私は彼を受け入れることができなかった。以来、彼を一切受け付けようとはしなかったし、存在さえ忘れていたのだ。その頃から、私は長年にわたってあることに悩まされ続けていた。それは「睡眠」だ。

 

   実は、中学時分から昨年3月頃まで、朝昼問わず、何をするにも邪魔をしてくる睡魔と真剣に戦い続けていた。授業、勉強、大学入試、講義では70%の確率で眠気を感じ、仕事には手がつかず、会議なんて始まって早々に眠くなる。社会人として、常識がないどころか無礼にもほどがあると思われていただろう。その一方で、私は真面目に困っていた。周りからどう言われようと、私は本気で仕事に取り組みたかったのに睡魔がいつも邪魔をした。社会人として1年目が過ぎ去ろうとしていた昨年の3月、上司にひどく叱られた。「まだ大学生のつもりか?仕事は遊びと思っているのか?寝てばかりいる自覚はあるか?仕事を何だと思っているのか。なめている。」と。

   その人は、私のことをよく見ていた。自分の態度が1人の上司の信用を失墜させていた。1人だけではないだろう。口に出さないだけで、非常に多くの人達が同じことを感じていただろう。社会人というのは、わざわざ注意しない。完璧を求められるのが社会というステージだ。言葉は厳しかったものの、直接私を叱ってくれた上司の存在は本当に有り難かった。私にとって日常的(日常敵)だった睡魔は、やはり直さなければならないと自覚した。そこで、ようやく睡魔を打破する解決策を探し始める。

 

   まず1つ目の策略は、夜間の睡眠時間を5〜8時間で調整してみるということ。5時間を数日続けてみて、効果がないなら6時間、7時間、と時間数を変えて実験し続けた。長期にわたり人体実験を試みたものの、結局は徒労に終わってしまった。

   2つ目は、専門機関に相談すること。目に見えてわからない病気は、病気ではない。世間一般の認知はそうだ。精神疾患であっても、睡眠障害であっても、目に見えなければ病気ではなく、単なる怠惰としてみなされる。昨年4月、とある病院を訪れ、睡眠時無呼吸症候群の検査を受けた。陰性。別の病院に睡眠疾患の専門医がいると聞きつけ、紹介状を片手に昨年5月、初診を受けた。言い渡された診断は、「入院してみないとわかりません」。これだけ医療進歩だの謳われているが、研究資料が少ないため未だあまり発展していない医療分野であり、すぐに答えは出せません、と。入院費を含めると多く見込んで20万、指定された入院日は、忘れもしない12月25日、クリスマス当日。20万が泡になる可能性の高さを危惧し、即座に断ってしまった。もう医療機関には頼れない。絶望的だった。世の中お金と時間が全てと言う人の気持ちが少しわかった。

   3つ目は、とある記事から得た知識だった。その記事は、職場で月に一度配られる。いつだったか、資料を整理しながら、ふと目を通すと、「朝の日光が身体を目覚めさせる」と書かれていた。何に対してでも興味を持ってみるものだ。翌日、速攻実践に移した。なんとなく身体が起きた気がしたまま職場に向かった。すると、嘘みたいに仕事に集中でき、眠くならなかった。陽の光を浴びるなんて単純なことで、無料の記事のおかげで、20万の費用が浮いた。笑える。たしかに学生の頃は大半は勉強か室内で過ごし、そのまま社会人になり、デスクワーク中心に活動しているため、あまり外に出ていなかった。病気ではなかった。工夫が足りなかっただけである。私は陽に当たらなければならなかったのだ。余談ではあるが、ここ数日前に読んだ話では、目に日光を取り入れないと視力が落ちるのだとか。知らなかった。世の中は自分の知らないことだらけだ。

   4つ目は……。睡眠について解決したはずなのに、私は4つ目の手段を見つける必要があった。どうしても陽を浴びる余裕がない場合があったからだ。言い訳にしかならないが、陽を浴び続けるには時間が必要である。手探りで我流を考えるも、失敗の連続。すべて機能しなかった。そんな時、たまたま彼を思い出した。かつては苦手であったが、今や私の英雄。何を指すか、想像がつくだろうか?

 

   彼は「コーヒー」と呼ばれている。眠気覚ましにコーヒーを。モーニングショット。ブラックコーヒー。脳内にそんなワードが流れ、今年4月、約10年ぶりに彼を受け入れた。砂糖が入っていなさそうという理由から、選んだのは、ブラックな彼。香りは私の落ち着かない心を鎮め、冷えた彼が通った喉はどこか心地よかった。これまでに摂取した機会が極端に少なかったからか、劇的に眠気覚ましの効果を発揮した。運命の英雄だった。彼は無生物ではない。人間であってほしい。といより、人間だ。何が言いたいのか分からないと思われるだろう。私も分からない。兎にも角にも、彼のおかげでなんとか踏ん張れるようになってきた。

 

   そんな今、LACCO TOWERの『珈琲』を聴きながら、ブログを作成している。彼らの歌詞から滲み出る表現は独特であり、それがたまらなく私には居心地が良い。実のところ、歌手名こそ英語が使われているが、歌詞には一切英語単語が出てこない。彼らの歌を聴いていると、日本語がとても愛おしく思えてくる。LACCO TOWERという表現者達をぜひオススメしたい。とりあえず聴き始めとして…騒がしい系統だと『蕾』(  https://m.youtube.com/watch?v=5QjfqkrUm4w  )、おとなしい系統だと『懐炉』(  https://m.youtube.com/watch?v=tZwXwP2hECk  )。

   狂想演奏家が奏でる音色を背景に目の前に突きつけられる綺麗な詩。

 

   彼が欲しくなる。