Sponge Mind

日常と非日常の触発ブログ

社会人は完璧人…

 しばらく更新から遠のいていましたが、今年もマイペースに進めます。よろしくお願いします。

 

 さて、年も新しくなりここ数日間自由な時間ができた。4月になれば忙しさに拍車をかけることになるのでせめて今の時間を大切にしたい。

 

 稲盛和夫さんの著書『生き方』を拝読する中で、「人生の方程式=考え方×熱意×能力」の一文が目に留まった。能力のポイントが高くても、熱意が無くては人生の豊かさが変わるというもの。全体のポイントを高めるべく心のゆとりを設けたい。

 

 社会人になった頃から感じていた。社会に出ると、求められるものが多すぎる。責任、自立、コミュニケーション力、マナー、常識、気遣い…。社会人は人間の理想ということかと錯覚する。ただ、働くことはお金を生むだけでなく副作用があり、時には人生を豊かにしてくれると信じている。

 比較的若手である私にとっては、この責任少し重いなと感じることもあるが年齢を考慮してくれない社会もある。かれこれ弱音を吐いてはいけない、甘えだ。まとまらないが…求められる能力と自分の持つ能力が見合っていない時でも戦わないといけないことがある。弱みを見せてはいけない。

 

 数日前、とある発表により不安な気持ちに襲われた。ここ数日間でこの気持ちを払拭し、4月からの準備を進めることから自信をつけながら前向きな気持ちで余裕を持って仕事を始めたい。

偉大な季節

  私は毎日変化する。例えば、日常の雑多なことから内面が変化し、前日に食した料理により外面が少なからず変化する。閲覧者もまた、毎日変化するのだろうか。

 

  内面上、最も変化を感じる季節は、「秋」だ。秋が来ると、何かを始めたくなったり、ある場所に出かけたくなったり、何かを新しく探索してみたくなったり…この時期こそが、興味の幅を広めるチャンスである。今年は、何かを始めたいと思ったら始める、出かけたいと思ったら出かける、探索したくなったら気の赴くままに適宜動くと決めている。そのおかげか、始めたいことを始めることになった。

 

  普段、自身の性格上、スポーツは観ることが好きだった。遠出して試合を観に行くほど好きな女子バレー、なんとなく観てしまう野球…どれも団体競技であるためか、観るに留まることが多かった。2年ほど前に、貸し切られた地域の体育館でバスケットボールの試合に参加したことがある。経験者が多い中、足を引っ張る無能さから申し訳なく思った記憶しかない。そうやって「スポーツはできない」というレッテルを自分に貼り続けた。

 

  今年8月頃、ずっと関心を持っていた個人競技のジムが近辺にあることを知る。今週、仕事面で遺憾に思うことがあり、ジムの存在を思い出して体験へ。そこから入会へ踏み切った。

  体験だけでそのスポーツに魅了されていた。何度でも通えると思った。学生時代、自主的に水泳をしていた頃の感覚と似ている。汗が心地よく、リズムも、力の込め具合も、全てが自分に合っていると感じた。体験を含めるとまだ3回しか通えていないが、仕事と時間が許すなら、毎日でも通いたいほどだ。

 

  昨日、仕事において空振りした結果、大失態の連続を引き起こしてしまい、その後、頭を悩ませた。私自身、過度に悩みを抱えてしまう癖がある。どうにかこの負の気持ちを断ち切ろうと思い、帰宅して夕食がすぐにジムへ向かった。その日は相当疲弊していたにもかかわらず、よくそんな体力があるものだと自分でも感心するほどだ。トレーナーと練習に励んである間も、ずっと楽しかった。ジムで練習を始めてすぐに、心から笑顔を取り戻せた。ストレスが溶けるのを実感できた。自分から好き好んで運動に手を出さなかった分、積極的に運動する喜びを掌握しているような気分だ。

 

  スポーツを好きにさせてくれた、この季節は偉大である。

 

 

今週のお題「○○の秋」

先の見えない人生は

 先日、占いを受けてきた。3年前の手相占い以降、気休め程度にしか考えていなかった娯楽の一つである。今後の私には縁がないだろうと確信していたのが、まさか再び占ってもらうことになるなんて思いもよらなかった。

 きっかけは、どこか不安を感じていたことに起因する。悩みを職場の上司に吐露したところ、信頼のおける友人が占い師であるからと占いを勧められ、二つ返事で紹介してもらうことになった。

 

 主に3つの悩みを軸に占いを進めてもらうことに。仕事面に関して、「雇用形態や勤務内容が私の理想とはほど遠い現状にあること」、「現在就く職業に適性があるのかということ」。私生活に関して、「今後の見通しが不透明であること」。

 仕事面に関しては、数名の上司に相談した経緯がある。話していくうちに、私がこの職業に適性があると納得できるのは、雇用形態と勤務内容に大きく関わるといいう結論に至った。人件費削減の計画が打ち出されようものなら、真っ先に私が足切りになる立場。本当にこの職業で生計を立てられるのか、この職業として適切ではない人材と考えられているからこの処遇か...ふとした時、思案しても職務を全うするしか手立てはないのにひたすら不安を感じてしまうことがある。

 私生活に関しては、就職してからというもの少なからず充足感を覚えている。しかし今年度から一人で生きることに限界を感じるようになり、家庭を持つ経験を得たいと考え始める。私生活だけで記事が1つ書けそうなほどなので、このへんで切り上げる。

 

 占いを受けた後、少し心が軽くなった。今後の展望を少しでも想像できたことが、私にとっては非常に価値ある時間だったのだと思う。本当でも嘘でもいい。イメージを膨らませ、自分に自信をつけることが大切だった。先の見えない人生ほど不安なことはない。

 

 こんな話がある。グラスに水が半分ちょうど入っている。その水を見て、あなたは「半分も入っている」と思うのか、「半分しか入っていない」と思うのか。

 閲覧者はどちらだろうか。私は、「半分しか入っていない」と思ってしまう。悲観的な考え方に偏る傾向にあるそうだ。

 

 以前、ある人と話す中で、感心したことがある。「日々の生活は、工夫するほど楽しく有意義になる。仕事でもそうだ。継続できる人は、日々何かしら変化や工夫を加えている。」

 心に余裕がある時、上記の言葉を思い出す。楽しむために試行錯誤するのではなく、試行錯誤しているうちに楽しくなってくると。先の見えない人生だからこそ、工夫しながら期待に胸を躍らせるべきである。占いを終えて、私は何を恐れていたのかと不思議に思った。恐れていては掴めるはずの機会も逃してしまう。自分の人生を自分で進めなければならない以上、責任を持たなければならない一方で、責任感に人生を支配されて良いはずがない。強く生きなければならない。

 

 老後についてはもってのほか。生き存える確信がなく、想像力が欠如しているからと嫌煙していた老後のビジョン。今となっては、1匹の中型犬を飼い、文学や芸術に勤しみ、伴侶と同じ本や記事を読んだ後に言葉を交わし、料理を楽しみながら過ごしたい。このような穏やかな老後を過ごせるように、今を精一杯生きよう。

 9月16日は敬老の日後期高齢者であるにも関わらず、未だ第一線で活躍している祖父母に敬意を表するとともに、日頃の手ほどきに感謝する。

今週のお題「理想の老後」

 

 この記事を書いた理由の一つが、自分自身を勇気づけるためである。先週末、私にとって深く自省すべき事案があった。自身に勢いをつけ、この弱っている気持ちを打破しすることで明日から心機一転させるため、がむしゃらに記事を仕上げたまでだ。

 

 1年後も、明日も、1秒後も、未来であることに変わりはない。大まかにはイメージしながらも、予測がつかないから人生は面白みがある。節度をもって、明日からも先の見えない人生に歩を進めよう。

大人の自由研究

今週のお題「わたしの自由研究」

 

 20の齢を過ぎてから自由研究に勤しんだ経験はあるだろうか。

 今年のお盆期間にて、スーパーへ立ち寄ったところ自由研究キットが半額で販売されているのを見つける。胸が躍るとはこのような状況のことを言うのかと思うほど、童心に返った気持ちでキットを手に取り、足早にレジへと向かった。購入後、小学生に戻ったのかと錯覚するほど自由研究に期待を膨らませていた。

 私の小学生時代、自由研究といえば、貯金箱作りに朝顔の観察、檸檬で電気が通るのか、といった王道スタイルのものが多かった。近頃の自由研究はそれに加えて、実践的なキットが販売されていた。とりわけ目を引いたのは、「自由研究おたすけ 指紋を調べよう」である。

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 実のところ、その自由研究に一番興味をそそられた理由が、とある大学入試問題を拝読した後だったからということもある。その入試問題では、指紋の第一人者といってもよい3名を列挙し、双子であっても家族であっても、同じ国に一人として同じ指紋の人はいないということ、一方で世界には何人か同じ指紋を持ち合わせた人間がいるということが書かれていた。家族の指紋の形をじっくりと見たことがなかった私は、その話を思い出しながらキットに関心を寄せる。また、某ドラマ(見たことない)の某女優になりきることができる!夢のまた夢である交通鑑識らしきことができるかもしれない!と、発見した時から随分希望に満ちていた。帰宅後まもなく実験に励み始める。

 

 キットには、指紋検出薬(アルミニウム)、透明シート、黒紙、タンポ、ガイドブック、実例レポートが含まれていた。タンポを片手に某女優の真似をしたところ、盛大に場の空気が白けたことは言うまでもない。

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ガイドブックを開けてみると、実験の目的を考えてみよう!といった項目があり、日本の教育方針の変化を感じた。ただただ面白そう!と思うだけでなく、何か目的や理由をもって実験をしてみようという意図だと考えている。

 

 実験方法として、まずグラスに十分指紋を付ける。次に、適量のアルミニウムの破片を付けた担保で指紋辺りを優しく撫で、その後、不要なアルミニウム片を同じくタンポでそっと落とす。最後に、透明シートをグラスに貼り付け、剥がしたものを黒紙に貼り付けると、指紋の形がよく見えるようになる。簡単である。即座に行動へ移した。

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(上記画像は、指紋を悪用されぬよう念のため加工を施してある。)

 

 結果、失敗の連続だった。あまり指紋が付着していないのにアルミニウム片を付けてしまったり、アルミニウム片を付けたつもりが指紋を拭ってしまっていたり。イメージ通りの指紋採取をすることがいかに難しいかを思い知った。警察官への道は程遠いようだ。ただ、親であったとしても指紋が明らかに異なるという結論に辿り着くことはできた。私に会うことのできる友人であれば、何時でもキットの一部を持ち運ぶことは可能なので、ぜひ声をかけてほしい。造形美とはこういうことを言うのかと感じることができる。

 

 大人になって、ふと幼い子どもが問いかけてきそうな疑問を思い浮かべた時、ぜひ自由研究の存在を思い出してほしい。何か発見があるかもしれない。無我夢中になれるほど気晴らしになるかもしれない。大人の自由研究は、まだ心の底に生きている童心をくすぐってくれる。

愛がなんだ

 まず、閲覧者へ問いたいことがある。愛は敬意の対象ではないのか。

 そもそも私たちが日常的に必要とする衣食住において、衣服は「お洋服」、食事は「お食事」、住居は「お住まい」と表現される場合がある。衣食住を補うのに欠かせない金もまた、「お金」と言われる。すべて生活する上では必要不可欠であるため、日本の伝統的な奥ゆかしさから、敬意をもって単語を表現しているのだろうと推測する。

 

 しかし、ここで疑問に感じたことがある。愛はどうだろうか。もし私が「お愛」と表現すると嘲笑されるに違いない。愛に敬意を含めると、なぜ違和感を覚えるのか。愛は敬意の対象ではないのか。

 一概に愛といえども、友人愛、家族愛、同性愛、異性愛などと一辺倒に収められないほどの多様性を持ち合わせている。愛を日々感じる人もいれば、時々感じる人もいれば無意識のうちに感じている人もいるだろう。ただ、多くの人は幼い頃、誰からであったとしても愛を受けてきたはずだ。命を繋げてもうらこと、いわばマズローが提唱した欲求5段階説の生理的欲求に相当する部分が幼児期のうちに欠損していると、間違いなく現時点では生存さえ危ぶまれているはずだ。生きているということが、愛を受けていた証になる。こう考えると、愛には敬意を払うべきであると思える。「お愛」を提唱し始めるのは一体誰だろうか。せいぜい芸能人が発して弄ばれたまま流通する運命なのだろう。

 

 

 さて、金銭と愛、どちらに重点を置いてパートナーを選ぶのかという話題はよく耳にする。「金銭が愛を生むのか」、「愛が金銭を生むのか」。

 私は「愛が金銭を生む」と考える。例えば、パートナーに「弁当を作りたい!」と感じた時、食材費が必要となる。食材費は稼いだ収入から削られる。「手作りのマフラーをあげたい!」、「プレゼントをあげたい!」と尽くしたいことが増えるほど、金銭が必要となり、学生であればアルバイトを始めるかもしれない。また、所帯を持って子どもができた場合、「水泳を習わせたい!」、「成長したから今よりも大きめの洋服を着せてあげたい!」、「私学に通わせたい!」と想像以上に欲は増えるだろう。ここで金銭面に不安を感じた場合、専業主婦であれば働きに出るに違いない。愛することで欲は高まり、その分金銭は必要とされる。

 

 一方で、「金銭が愛を生む」こと、これもまた面白い。なぜなら、金銭を出すほど愛への依存は強くなると考えるためだ。必死で働いて貯めた金銭を、愛すべき対象に与え続ける。その結果、依存的に愛を育むことは可能であると考える。例えば、あるアイドルグループのことを好きだとしよう。毎日働いて貯めていたが、アイドルを前にすると購買意欲が高まり、多くのグッズに手を出す。その金銭が、最終的にはアイドル自身の手元にわたるため、愛を届ける手段の一つとしてみなされることになる。

 

 「金銭が愛を生むのか」、「愛が金銭を生むのか」、どちらを選ぶにせよ、金銭と愛の関係は密接である。どちらが欠けてもいけない。人によって異なるある程度の金銭とある程度の愛が必要とされる。金銭と愛、双方の価値観の需要と供給が一致していれば相手とは上手く続くだろう。

 

 

 余談ではあるが、先日、仕事を手伝った後、こう言われた。「今日手伝ってくれたから、もし何かあれば言ってほしい。喜んで手伝うよ。」と。その上司とは大半を共に過ごすことがあり、私はもはや仕事上での愛だけでなく、友人としての愛も感じている。誤解しないでほしいのは、当然パートナーとしての愛は感じていない。いつも私の方が世話してもらっているのに、そのようなことを言われると、返答に窮してしまう。戸惑った末、「本物の愛に見返りは必要ない。」と返した。「友人間の愛として」と無論付け加えた。自分が発言したものの、「愛に見返りは必要ない」のか疑問に残るところは多々あったが、この文脈上では、差し支えない表現であったと思いたい。

 

 「結婚指輪は某大手会社のものが美しい!」、「○○カラットの結婚指輪!」と聞くように、結婚時、金銭と愛の価値観は表面化している。私はオモチャの指輪でもいい。親が家事で指輪していないのを見ていたから、どうせ着けなくなるのならそれほどまで高値である必要があるのかと思ってしまう。旅行やら、一緒に出掛ける食事やら、老後の資金やらに回したいと考える気持ちもあるが、結局は将来の相手の判断に委ねることになるのだろう。

 あぁ、この記事を書いていると愛やらなんやらどうでもよくなってきた。愛を貪りたいがために嘆く一人の若者を哀れな目で見ておけばいい。愛がなんだ。

''The Great Gatsby'' 『偉大なるギャッツビー』についての感想

“The Great Gatsby

著: Francis Scott Key Fitzgerald

 

つい1ヶ月ほど前、Netflixにて“The Great Gatsby”を視聴した。大学の頃、''The Great Gatsby''についての講義を受けたものの、ほとんど講義内容を忘れてしまっていた。覚えてさえいれば、もっと楽しく観ることができただろうに、と残念に感じている。

 

Gatsbyについて

紳士的かつヒエラルキーの上層部かのような振る舞いを見せようと、自身を取り繕う傾向にあると感じた。金銭面が彼の威厳を保たせているようだったが、彼の持ち金は正当な収入から成り立っているものではない。金持ちである以上、振る舞いだけを取り繕うよう努めているようにも見えた。その理由として、“The Shawshank Redemption”で、足元から身なりを整える場面があったためだ。外面が非常に人の印象へ影響を左右すると、両映画監督は感じていたのかもしれない。

それと同時に、感情を露わにしないよう、自身を落ち着かせようとする様子が見受けられた。Daisyには毎回ウイスパーほどの小声で話したり、荒ぶるTomとは対照的な落ち着いた素振りをわざとらしく周囲に見せつけたり、落ち着くために何度もお酒を手にしてみたり。感情を鎮めようとする様子が素行に出ていた。Tomが出身について詰問した際、感情を抑えられず嚇怒したため、Gatsbyの育った環境が彼の素行に関係しているのかもしれない。

 

加えて、彼は、常に孤独だった。素性さえも理解されないまま、というよりも理解しようとされないまま、自身の過去を愛し続けるのが観ていて本当に切なかった。彼に孤独を与えた材料の一つが、戦争であることも忘れてはならない。

最終的には、犯していない罪を着せられたGatsby。あれだけ彼の城には人が集まっていたのに、最期はNickだけが側にいた。彼の理解者が唯一存在してくれていて安堵した反面、やはり居たたまれない。人は孤独を愛することはできても、孤独から愛されることはない。

 

Nickについて

ニューヨーク街の証券会社に勤める、the金融マンの風貌と言動。初めは、Gatsbyとは似ても似つかない真反対の性格だと思いながら観ていたが、Gatsbyの死後、もはやNickがGatsbyに生まれ変わったかのようだった。Gatsbyの葬儀を準備していた時、Nickがとった言動は狂気じみている。非常に見どころ。

証券会社から物書きになったあたり、著者をNickになぞらえているのか?著者の近辺で起こった世界恐慌が影響しているか?と思ったが、本作の数年後に世界恐慌が発生していたので、不適切。

 

Green Light

先日、入試問題で'Green'がもつ意味について読んだところだった。中でも、'Green Light'は、'Keep up going.'を指すと。緑の光が煌々とGatsbyの後ろで点滅しており、台詞の中で度々'Go on.'という表現を用いたシーンが見受けられた。緑の光が出る場面といい、GatsbyDaisyの元へ行っていいんだよと助言されているかのようにも思えた。

 

その他

映画の表紙にもなっている目。あまり意図を理解しきれていない。研究すればさらに面白く感じて味の出る映画なのだろう。

 最後に。本作品を見た翌日までも、私の脳内はGatsbyでいっぱいだった。孤独に生きるGatsbyがどうしても愛おしかった。彼を理解できる女性になりたかった。日本人であるという容姿のことはともかく、あの映画に入ることができていたら、私はどのようにGatsbyに近づいていただろうか。彼はDaisy以外の女性を拒み続けるだろうか。どうやって納得させよう。孤独を回避させてくれる女性ならびに人間は、山ほどいるということを。

さようなら、夏

今週のお題「残暑を乗り切る」

 

 秋なんて季節は来るのだろうか。そう数日前までは思っていた。夏が終わることを想像できないほど、蒸し暑い日々が続いていたためだ。四季の中では、夏が私にとって一番の大敵。日向ぼっこを含め、自分から日差しを浴びに行くのは好きだ。が、通勤途中に照り付ける日差しを睨みつけながら、いつになれば穏やかな日々を過ごせるのだろうと思いを巡らせていたのも、つい最近の話。近頃、暑さを凌ぐ必要性が随分と低くなった。

 今夏、特に休暇の日々を振り返れば、多くの初体験に恵まれていた。脱水症状(飲酒と暑さが原因)、一人で花火を観に行くこと、指紋採取(自由研究キット)、ウインドサーフィンの観察、職場の上司らとほぼ1日外出すること、など。どれも強く印象に残っている。

 

 初めてかもしれない、あと1か月は夏が続いてほしいと考えるようになったのは。私にとって一番の大敵は、実のところ、沢山娯楽を与えてくれる季節なのだと気づいてしまった。あれほど苦手だった存在が、突然私の心に寄り添い始めている。

 ウインドサーフィンに参加したい!ナイトプールを眺めに行きたい!娯楽施設のある大型プールに行きたい!川下りしたい!鮎を掴んで丸焼きしたい!海に行きたい!スイカ割りをしたい!セミを取りたい!

 半ばの発言以降、もはや少年ではあるが、やりたいことがまだまだ残っているのは事実だ。これからは残暑という、「夏」とは少し離れた存在が身を寄せてくれる。

 

 違う。残暑…君じゃない。私は「夏」をもう一度だけ味わいたい。待ってよ、「夏」。まだ行かないで。そんな言葉も虚しく、残暑を引き連れて「秋」がやってくる。