Sponge Mind

日常と非日常の触発ブログ

''The Great Gatsby'' 『偉大なるギャッツビー』についての感想

“The Great Gatsby

著: Francis Scott Key Fitzgerald

 

つい1ヶ月ほど前、Netflixにて“The Great Gatsby”を視聴した。大学の頃、''The Great Gatsby''についての講義を受けたものの、ほとんど講義内容を忘れてしまっていた。覚えてさえいれば、もっと楽しく観ることができただろうに、と残念に感じている。

 

Gatsbyについて

紳士的かつヒエラルキーの上層部かのような振る舞いを見せようと、自身を取り繕う傾向にあると感じた。金銭面が彼の威厳を保たせているようだったが、彼の持ち金は正当な収入から成り立っているものではない。金持ちである以上、振る舞いだけを取り繕うよう努めているようにも見えた。その理由として、“The Shawshank Redemption”で、足元から身なりを整える場面があったためだ。外面が非常に人の印象へ影響を左右すると、両映画監督は感じていたのかもしれない。

それと同時に、感情を露わにしないよう、自身を落ち着かせようとする様子が見受けられた。Daisyには毎回ウイスパーほどの小声で話したり、荒ぶるTomとは対照的な落ち着いた素振りをわざとらしく周囲に見せつけたり、落ち着くために何度もお酒を手にしてみたり。感情を鎮めようとする様子が素行に出ていた。Tomが出身について詰問した際、感情を抑えられず嚇怒したため、Gatsbyの育った環境が彼の素行に関係しているのかもしれない。

 

加えて、彼は、常に孤独だった。素性さえも理解されないまま、というよりも理解しようとされないまま、自身の過去を愛し続けるのが観ていて本当に切なかった。彼に孤独を与えた材料の一つが、戦争であることも忘れてはならない。

最終的には、犯していない罪を着せられたGatsby。あれだけ彼の城には人が集まっていたのに、最期はNickだけが側にいた。彼の理解者が唯一存在してくれていて安堵した反面、やはり居たたまれない。人は孤独を愛することはできても、孤独から愛されることはない。

 

Nickについて

ニューヨーク街の証券会社に勤める、the金融マンの風貌と言動。初めは、Gatsbyとは似ても似つかない真反対の性格だと思いながら観ていたが、Gatsbyの死後、もはやNickがGatsbyに生まれ変わったかのようだった。Gatsbyの葬儀を準備していた時、Nickがとった言動は狂気じみている。非常に見どころ。

証券会社から物書きになったあたり、著者をNickになぞらえているのか?著者の近辺で起こった世界恐慌が影響しているか?と思ったが、本作の数年後に世界恐慌が発生していたので、不適切。

 

Green Light

先日、入試問題で'Green'がもつ意味について読んだところだった。中でも、'Green Light'は、'Keep up going.'を指すと。緑の光が煌々とGatsbyの後ろで点滅しており、台詞の中で度々'Go on.'という表現を用いたシーンが見受けられた。緑の光が出る場面といい、GatsbyDaisyの元へ行っていいんだよと助言されているかのようにも思えた。

 

その他

映画の表紙にもなっている目。あまり意図を理解しきれていない。研究すればさらに面白く感じて味の出る映画なのだろう。

 最後に。本作品を見た翌日までも、私の脳内はGatsbyでいっぱいだった。孤独に生きるGatsbyがどうしても愛おしかった。彼を理解できる女性になりたかった。日本人であるという容姿のことはともかく、あの映画に入ることができていたら、私はどのようにGatsbyに近づいていただろうか。彼はDaisy以外の女性を拒み続けるだろうか。どうやって納得させよう。孤独を回避させてくれる女性ならびに人間は、山ほどいるということを。